群馬県での小学校6年生のいじめを原因とした自殺。外国人の母親が初めて授業参観に来たことがいじめのきっかけになったと、そして、勇気を振り絞って参加しようとした社会科見学での心ない言葉が命を絶つ最終的なきっかけになったと聞く。何とも、言葉にならない事件だ。
異質のものを排除しようとするのは、ある種動物的な本能かも知れません。しかしこの事件は、閉塞感の漂う社会の中で、異質のものを排除することで見せかけの仲間意識を助長させていく、そんな大人社会の投影のように思えるのです。排除の論理の行き着く先は憎しみの連鎖でしかありません。人間としての理性や他を理解しようとする努力が、優しい社会を築いていくと思います。
この事件、教師をめざす若い皆さん方、管理職試験の勉強をされている中堅の先生方、みなさんはどう思われますか? 学校や担任の先生の対応のまずさ、判断ミスといったこともあったかと思います。しかし、私がそれ以上に思うことは、「受け容れる」ということは実は大変な力仕事であり、不断の努力抜きには決して成し遂げ得ない、これも「生きる力」の大切な要素ではないかということです。A.T.